来年の手帳

 

 

来年の手帳を買った。

例年より遅めの購入だ。(ほぼ日手帳を買った年は、張り切って発売日直後に駆けつけたりもしていた。)

 

 

選んだのは、かわいい猫のイラスト表紙のマンスリー・ウィークリータイプ。

 

 

 

いま使用している手帳は一日一ページタイプだ。

来年はラフに書けるようにしたくて、A5サイズのノートに一日一ページの使い方をしてみる。

 

日記に限定せず、思ったことを走り書きするくらいの日があってもいい。

 

 

すでに日付を書き、3月末までのページにシールを貼った。

デコレーションまで気合いを入れず、以前大量に買ったシールを消費。

 

 

マンスリー手帳はイラストレーターのかわいい絵がたくさん載っていて、早く使いたいけれど使うのがもったいない。

 

毎年新しい手帳を買うと、来年を思いわくわくする。

読書量の目標はやめた

 

 

いろんな手帳を使ってみるのが好きで、手帳売場を物色すると、だいたいどの手帳にも“今年の目標” “やること100”という項目をよく見かける。

 

 

 

昨年は本を119冊読んだのもあって、今年は何気なく「本を100冊以上読む」と書いていた。

 

 

 

普段“100冊”を意識しながら読書しているわけではない。

にもかかわらず、なんだか集中力が落ちている気がしていた。

 

 

 

もしかすると“100冊”は気持ちの負担かもしれないと思い、とっとと線を引いてやめることにした。

 

すると、それだけで少し気が楽になったのだ。

 

 

 

そもそも、わたしは数のために読書をするのは自分の理想じゃない。

 

義務の読書は、なんだか違う。

本に限らず、数に捕らわれたくないという事を再認識した。

 

 

“100冊目標”はやめたものの、毎回図書館へ行くたび読みたい本をひょいひょい借りるから、結局読書量自体は減っていないのだけれど…

 

 

 

できるだけ多様多種で読みたい人もいれば、お気に入りの本を繰り返し読む人。

わたしは、自分とは違う後者タイプにすこし憧れをもっている。

同じ本を何度も繰り返し読めるなんて、ほんとうに本が好きなんだなあ、と思うのだ。

 

 

たからもの

 

 

姪っ子が3歳くらいの頃。

 

よく家で預かる事があり、人形遊びが苦手な母に代わり、わたしが遊び相手をしていた。

 

 

 

姪っ子が人形遊びの中で、ふいに「これ、わたしの“たからもの”なの」と言った。

 

 

わたしはその時、“たからもの”という言葉を何十年ぶりに聞いたような気がした。

自分の中ではすっかり存在をなくしていたことば。

普段聞くことがなく、自分も使わない。

けれど、なんて素敵なことばなんだろうと染み入ったのです。

 

 

まだ幼く純粋な姪っ子が発する“たからもの”はあまりにもきれいで、遊ぶ姿を見ながらこれから先この子に“たからもの”が見つかる人生になったらいいな、と思った。

 

 

そして考えたのです。

大人である、“いまのわたしのたからもの”は何だろうと。

潔癖が本を買う時。

 

わたしは図書館を利用していて、図書館本を読んだ後は手を洗う。

中古本を買っていた頃もそうだった。

 

 

軽度から重度までどれほどか分からないけれど、自分は潔癖だと思う。

 

 

一体いつからだ?と考えていたら、少なくとも中学生辺りまでは全く潔癖ではなかった。

図書室で借りた本を読んだ後、手はもちろん洗っていない。

たぶん色々なものを見て、大人になるにつれ潔癖になったのだと思う。

 

 

 

潔癖あるあるだと思っているのは、“書店の本を買う際、一番上は取らない”。

たいてい上から3つ目あたりを購入する。

理由は単純に色々な人が触っていないため、汚れや折れがないからだ。

 

 

 

こうなった理由は、学生時代に目撃した決定的な出来事だった。

 

 

その日学校帰りに書店へ行った私は、本か漫画を購入し帰宅しようと店内を歩いていた。

そして、おじさんが立ち読みしている横を通りながら見てしまったのだ。

おじさんが、しっかり鼻をほじりながら本を読んでいるのを。

 

 

むしろ鼻くそを糊(のり)にしてページをめくっているくらいの勢いだった。

その瞬間「きったねえー!!!!」と衝撃を受け、わたしはもう絶対に一番上の本は買いたくない、となったのだ。

 

 

担任が唾をつけ配布物をめくっているのを見た時も、潔癖レベルが上がったのかもしれない。

(その担任はそれだけではなく、鼻もほじる二刀流だった。)

 

 

 

潔癖は、そうでない人に比べるとしょっ中ストレスを感じることになる。

でも結局それは、自分が損だ。

これ以上エスカレートしないようにしよう、とは思っている。

新しい図書館

 

 

新しくできた図書館へ行ってきた。

 

 

蔵書数は前の図書館より何倍かになったけれど、特別多い訳ではない。

たぶん、やっと平均的な蔵書数になったくらいだと思う。

 

 

けれど建物はとても空間が広く造られていて、気持ちのいい図書館だと感じた。

 

 

わたしは夜行ったのだけど、夜のライトアップがとても落ち着いた雰囲気で素敵なのだ。

外観だけではなく、図書館内の空間もシックな雰囲気になる。

 

真新しい図書館は、新車の匂いで満ちていた。(子供の頃なら酔っていた匂いだ)

 

 

ちらほら新しく入った本もあり、つい2冊多く借りてしまった。

あまり多く借りないようにとは思っているものの、ずらっと並べられた本を眺めながら歩くと、欲が出る。

 

 

今日はじっくりと図書館全体を見られなかったけれど、これからこの図書館に通い借りることができるのかと思うと心おどる。

暗くなった帰り道も、なんだか胸にポッと灯りがついた気持ちで歩いた。

うどん

 

 

叔母から大量のうどんをもらった。

 

乾麺で、十分ほど茹でるタイプのものだ。

 

 

 

うどんは本当に便利で、時間に余裕がある日は朝ごはん、そして昼ごはん、ときどき夜食で食べることもある。

 

 

なんせ一番は、ラク

そしてうまい。

 

 

うどんを食べる時は極力洗い物もしたくないから、ぶっかけうどんのようにして食べることが多い。

 

子供の頃はあまり好きではなかったけれど、大人になり好物になった。

 

 

積み重ねた大量のうどんを見ながら、「これは食べきるまで大分かかるな…」と困った風に言っていたのに、それはそれはスムーズな減り方をしているのであった。

 

 

 

 

 

 

最低の日帰りツアーのはずだった。

 

 

秋というより冬を感じるような寒さで、今年は秋を実感しづらい。

 

コロナ禍前は、この気持ちいい季節に出掛けたり旅行へ行きたくなっていたものだ。

 

 

 

 

叔母に誘われ、私と母は日帰りバスツアーに初参加した事があった。

宿泊込みのバスツアーは経験があったけれど、日帰りは初めてで楽しみにしていた。

 

 

ところが、このバスツアーは格安だったらしく、内容が酷かったのだ。

 

ツアー最大の見せ場である旬の花を見に行くと、すべて散った後。

寄りに行く場所は明らかにツアー会社と店の繋がりが見えて、全てツアー客への商売目的。

現金を添乗員に渡した際、釣り銭がなかったらしく「のちほど渡します」と言われたが、そのまま忘れられる、などなど。

格安には格安だけの理由があったのです。

 

破滅的な内容なのに移動時間だけは長いため、旅行というより"バスに揺られ客が運ばれているだけ"の方がしっくりくる。

 

 

 

 

"バスツアーに3人で参加"ということは、一人だけ長時間知らない人とバスの隣席になる。

正直いやだったが、母と叔母を離すのも気を遣うし、わたしは一人を選んだ。

 

 

 

当日、隣席が女性だった事に安心し、バスツアーはスタートした。

 

話しかけてみると自然に会話をしてくれたその女性は、子育てが落ち着き自由な時間を持てるようになり、パート友達と3人で参加したらしい。

私と同じく一人余ってしまうので、私の隣になったのだ。

 

 

その女性とは世間話から始まり、ドラマや好きな歌手の話、更には家族や人生話にまで及んだ。

 

退屈すぎる旅行にバスの客が全員寝だしても、私たち二人の話は止まらなかった。

 

 

終わりがけに、「まさかこんなに楽しくなるとは思わなかったわ、今日はありがとう」と言ってくださり、たった一日だったけれど私こそ楽しくて感謝だった。

 

 

ほんとうなら最低のツアーのはずが、その女性のおかげでたのしい一日になり忘れられない思い出に。

 

 

 

けれど、もうあの旅行会社は行かないよ。